眞子さまの結婚
注)この記事は私の自己満足のお気持ち表明で、切迫早産ぜんぜん関係ありません!
眞子さまを見てると、今の時代を生きていくにあたって、実は女性の方が自由なんじゃないかと思うときがある。
皇族として生まれた本人が、皇族として生涯を過ごしたいという思いがあったならば、性別は絶対的な“壁”となってしまう。
でも、本人が皇族という立場を手放したかったら?
結婚という方法に限られるけれども、自らの意思で皇室を離れられるのは女性だけ。
そして、美智子さま、雅子さま、紀子さまがそうしてきたように、自らの意思で皇室に入ることができるのもまた、女性だけなのだ。
皇族という立場は、ある面ではとても恵まれているが、ある面ではかなり窮屈だ。
常に微笑んで手を振ること。監視され、下手に遊び回れないこと。国内外で当然のように公務をこなさなければならないこと。
生まれた瞬間から皇族だった眞子さまは、さぞ窮屈な思いをされながら生活してきたのだろう。
(自身がいかに恵まれているかには気づきにくかったかもしれないが。)
そんなふうに生きてきた人が、素朴に「普通の生活をしてみたい」と思い至るのは当然である。
一方で、一国民として生まれ、生活してきた女性が皇籍に入る場合はどうか。
運命か偶然かの巡り合わせで“お妃候補”に選ばれた女性たち。
彼女たちが完全な自由意思で結婚を承諾or拒否することができるかといえば、一概にそうとは言い切れないのだと思う。
本人たちも知らないうちに選出され、いつの間にか選考が行われ、人数が絞られていく。
本人にその気があっても、結婚が叶わない場合もある。
でもこれは、一般人の結婚においても同じことだ。
天皇陛下のご結婚にあたっても、お妃候補に選ばれつつその気の無かった女性たちは、別の人と結婚をするなり留学をするなりで、候補から外されるよう動いていったようだ。
そして最終的には、雅子さまがプロポーズを承諾し、ご成婚となった。
皇籍から離脱する場合にも、最終的に必要なのは本人の強い意思だ。
眞子さまは今回、小室さんと結婚をするために
さまざまな面で助言をしたという。
会見での口調、一つ一つの言い回し、特に「小室さんが自分の意思だけで動いたことはない」と言い切ったあたり、眞子さま本来の性格がよく現れていたように思う。
あんな風に強い意思を持って行動すれば、少なくとも2021年においては、
世間から多少のケチがつこうとも、自分の愛した人と結婚し、皇籍を離脱し、海外で暮らすことが可能なのだ。
そして、私たち庶民にだって、少なからず同じような面はあるのではないか。
私は結婚して仕事を辞め、札幌に引っ越してきた。
仕事を辞めたのは、丁度その時会社に居続けるのに疑問を持っていた時期だったことと、単純に札幌での生活の方が楽しそうだったからだ。
そして夫と2人で生きていくにあたって、どちらかと言えば夫の方がワークライフバランスが取れて、且つ代えのきかない仕事をしていたからだ。
昔と違って、女性でもさまざまな人生を歩むことができるようになった。
進学する、しない
結婚する、しない
出産する、しない
キャリアを積む、積まない
もちろん、全てを本人の意思で決められるはずはない。置かれた環境によって選択の幅は変わるし、何かを選ぶときには、何かを捨てなければいけないのだから。
私は運良く自分の意思で進学をし、仕事に就き、辞めて結婚をし、子供をさずかり、育てている。
新しい生活のために仕事を捨てたし、子供との生活のために自分のしたいことは抑えて、子供基準のスケジュールで生活している。
今も、新しい命を守るために、お金をかけ、家族に迷惑をかけながら入院生活を送っている。
でも、それが自由に生きるってことだ。
何かを選択することは、何かを捨てること。誰かを守ることは、誰かに我慢を強いること。
迷惑をかけて、迷惑をかけられながらこの社会は回っているんだから。
私は、ある程度自由に生きられる現代に生まれてよかったと思う。自由のために、この先も色んなことを我慢しなければならないと思うが、切羽詰まらないよう、息抜きしながらやっていくつもりだ。
そして子供たちが自分の意思で人生を選択できるように教育をしたいし、そのための環境を整えていきたいと思う。
眞子さま、ご結婚おめでとうございます。
これからは自分の人生を、自由に生きてください!
おしまい。