核家族切迫早産入院日誌

2021年9月〜絨毛膜下血腫による切迫早産での入院日誌

初めての出産

息子が先日、2歳の誕生日を迎えた。

1歳のときもそうだったけど、当日は一日中出産の日のことを思い出していた。

 

 

40w3d、検診。

予定日超過のため、内診グリグリ。(内診グリグリって表現そのまんまよね、あれ。)

かなり痛くて、「始まってもないのにこれ!?」と絶望①。41w0dでの入院を予約して終了。

 

その日は夫と近所の居酒屋で外食。唐揚げが美味しかった😌

ふつうに就寝して、AM2時頃、腰にずーーんとくる痛みで起床。

前駆陣痛は殆ど無かったこともあり、わりとすぐに「始まるやつだ」と覚悟する。

同時に、「始まりでこの痛さ!?」と絶望②。

 

AM4時

10分間隔になり病院へ。車で7分ほど。

 

AM5時

最初の内診。子宮口4センチ。

「お家でがんばったね!お昼には生まれると思うよ☺️」とのコメント。

ここでお昼をゴールにしたのが間違いだった…。

 

陣痛部屋に入る。4人部屋で、既に誘発の人が1人いたのかな?記憶が曖昧。

程なくして、破水した経産婦さんが1人追加。

まだ陣痛来てないようで、上の子と束の間の触れ合いタイム。

そのうち陣痛が来たようで、静かに耐えていた。

 

私はというと、どんどん強くなる痛みに声を抑えられない。

息を吐くたびに唸るような声が出る。

じっとしてられず、痛いときは四つん這いでゆらゆら。合間はクッションにもたれかかる。

朝から食事が出たけど一口くらいしか食べられず、付き添いの夫の胃袋へ。

 

PM0時

まだ子宮口5センチくらい。「1センチしか進んでない、、お昼には生まれるって言ったのに!!!!!!!!!!!」絶望③

 

PM1時

たぶんこの辺りで、お隣の経産婦さん出産。最後はすごく叫ぶ声が聞こえた。びっくりはしなかった。既にこんな痛いんだもん。

 

PM2時〜6時

辛すぎて記憶なし。付き添いの学生さんが、足湯してくれたり、病棟歩くのを手伝ってくれたり。心強かった。

 

PM7時

夜になったなぁと思う。でもまだ子宮口7〜8センチくらい?で絶望④。帝王切開にできませんか?!?!!!?と懇願する。

でも赤子の心拍は下がってないし、先生的にはいけるよと。

「促進剤と子宮口柔らかくする注射打って、効かなければ帝王切開にしましょう」と先生。

「促進剤は絶対イヤです」と私。(薬に抵抗が、とかではなく、これ以上痛くなるのが絶対絶対嫌だった)

折衷案で、注射だけして1時間様子見ということに。並行してカイザーの準備もしてくれるとのこと。

 

PM8時

注射効いた!子宮口全開!でも満身創痍で喜ぶ気力なし!分娩室へ移動。

 

陣痛に合わせていきむものの、下手くそでうまくいかない。さっきの経産婦さん以上の、地獄の底からの雄叫びみたいのが出てる。

途中ばつん!と破水したのがわかる。

脱糞したのもわかる…。(でもそれどころじゃない)

さすがに赤子の心拍下がってきて、酸素マスク装着。

吸引分娩になる。さらに、先生の手が助産師さんたちの間から伸びてきて、ばつーーん!と、アクロバティックな感じで会陰切開。(思い出すと笑える😂)

 

PM8:42

誕生!感動して涙出るかと思ったけど、そんなことはなく

ただただ「終わった……」という安堵の気持ち。

検診では3,500超えと言われていたけど、出てきてみたら3,110g。普通〜!!

ちなみに子宮口が拡がらなかった原因は回旋異常だった。なるほどね…。

 

分娩室から離れ、産後しばらく待機する部屋へ。夫がアイスを買ってきてくれて、食べる。甘さが沁み渡る。

色々処置の終わった赤子が到着。すーすー寝ている。頭がびよーんと伸びている。そうか、自分に子供ができたのかと、まだ他人事のような間隔。

 

日付超えて病室に移動し、必要最低限の人たちに報告して就寝。

興奮してなかなか寝付けなかった。

 

 

 

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翌朝起きてみたら、その年初めて雪が積もっていた。

夫が「名前は雪男(ゆきお)かね〜」なんて冗談を言って、ふざけて私の兄に報告したら

「季節感のある名前!」と気遣いMAXのコメントが返ってきて笑えた😂ごめんよお兄ちゃん、、

 

 

 

 

おしまい。